【主に】どうして私の作品は伸びないの!?【絵・デッサン】
めちゃくちゃお久しぶりのブログです。みなさん元気ですかー!?
もっとブログを書く予定はあったのですが、昨年忙しすぎて記事書けなかったのと、もっとデッサン描いてそれを元にしたブログを書こうと思っていたのに、そのデッサン書く時間が取れなくて、放置気味にしていました。
でも久々にブログに来たら、「伸びない」という悩みをお持ちの方が多いようで。
そういえば、そのことに関してブログ記事にしてないな、と思ったので
久々に更新して見ることにしました。
よろしければお付き合いください。
さて、絵の世界では、大体絵が伸びないという悩みを誰しもが持ちます。
というか、むしろ永遠の課題ですよね。
で、今回取り上げたいのは特に初心者の時に「伸びない」と悩んだ時のことをちょっとアドバイスしようかなと思います。
で、初心者がなぜ上達しないのか。
これは意外と二つの単語で説明できると思います。
それは何かというと…
「見てない」「理解してない」
これに限ります。
これを読んだみなさんの中には「ちょっと待て」と言いたい人も多いのではないでしょうか。
まあ、普通に言ったらおかしいですよね。
だって、絵とかデッサンって、モチーフを見ないと書けないから絶対見てるはずだし、
理解したところで平面に書くのと何の関係もないですもんね。
でも、私が言ってるのはそういう意味じゃないんですよ。
簡単にわかりやすい説明をしましょう。
例えば、「これからめちゃくちゃ美人のモデルさんをデッサンしてください」
と言われた時。
描き手が「スケべな男性」と「無関心な女性」だったら、前者の方が上達の可能性が大きいんですよ。
っていうのは、外見だけ見て描いても人間というのは動きますから、ある1箇所だけ見て描いたら最終的にちぐはぐになっておかしな頭身になることもあり得ます。
特にこだわりがなくて要領を得ない人だと、こうなる可能性もあります。
だけど、この女性のここが素敵だ!描き残してて飾りたい!!
と思えば、まずモチベーションが上がりますよね。
で、そういう人たちにはどこがいいのかというこだわりがありますよね。
顔だったり、胸だったり、腰だったり、好みは様々ですが。
特にそこがいい!!と思ったらおそらくその部分は一生懸命見て描くはずなんですよ。
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どうやって見るかというと、
「この胸の部分はどんな形になっているんだ」
「この腰のラインを良く見せるためにはどうすればいんだ」
「一体どういう構造になっているんだ。」
となるはずなんです。
ここまでの内容を読んで「ねーよ」と思った人本当ですか?
今、確かに絵を描くときとかの話をしました。その時はそう見ないのかもしれません。
でも、街中でタイプの女性(男性でも可)を見た時!!
あなたは今言った内容のことを微塵も思いませんか!?
好みの大きさを見つけた時!!まじまじと観察したり、誰かとどこがいい、そこがいいという話をしたりするでしょう!?
私が言っている「見る」「理解する」っていうのはそういうことなんです!!
人間を人間らしく書こうと思うのであれば。
服を着た状態じゃまず書けないんですよ。
生まれたままの状態をイメージして何頭身で、どのあたりに胸があって腰があって、って想像、もしくは下書きで書いて、
それから服を着せることで初めてらしくかけるんですよ。
でその服だって、素材で変わってくるんです。
で、そコマで理解できれば、あとはどういう書き方をすればそういう風に見せられるのか、
という技術の問題まで持ってくることができるんです。
で、話を戻して「見てる」のに上達しない、っていう人は多分そのことを理解できてないんだと思います。
確かにモチーフを見てると思います。
でもそれは思い込みが入っていて、
例えば「蒔」と「ガラス玉」と「白い紙」がモチーフだとしたら
「茶色い立方体のも」「透明な丸い何か」「真っ白な長方形」とざっくりしか見てない可能性があります。
でもそうではなくて、私たちは「木」と「ガラス」と「紙」を描かなければいけないんです。
そしてどこに影があって光があるのか、どういう風に並んでいるのかということを「理解」して、初めて「じゃあ紙の上で表現するにはどうしたらいいんだろう」と描くことができるんです。
これが「理解できるかできないか」という問題。
で、「見る」ということ。
これは文字どおりです。
「木だ」と理解しただけでは当然描くことはできません。
それを表現するためにはしっかり見ないといけません。
どういう線が入っているのか、どのあたりが割れているのか。
ガラスも一緒です。
ガラスということは「透明」ということ。
透明ということは、その向こう側が透けて見えるはずです。
その透けている部分がどうなっているのかということを「見る」んです。
紙も同じ。
厚紙なら影があったり反射があったり、影ができるし、
習字紙なら下が透けて見える。
それを「観察」して紙に書いて、
ようやく実物に近いものができるのです。
私が言いたかった「観る」と「理解する」というのはこういうことです。
ここまで偉そうなことを書いてきましたが。
実は私がこのことを本当の意味で理解できたのは卒業後。
それもつい最近の去年の話です。
私は塾時代どころか在学中もずっと言われ続けていたのにもかかわらず、
わかっていてもできない。いや、本当の意味で理解できてなかったんだと思います。
でも、そんな私だからこそ、今から美術を始めたいというみなさんの少しでも助けになれればなと思い今回記事を作らせていただきました。
なので、そんな人たちに、最後に一言言わせてください。
「絵の上達方法がわからなくなったら、すけべになれ!」
ひどい一言だw